ある男の生涯
トリエステでは、クロフタは友人の所を移り歩き、企業家の転身の苦しみを味わいました。
あらゆる意味で彼の生活は失敗のように見えました。
戦時中、非戦闘員だった彼は、その理由が何であれ一国の成年男子として最も大事な戦士としての試練に失敗しました。
また理由はともかく、妻と2人の幼児を危険と苦難の中に残して、扶養者、保護者たるべき夫の役割を果たせないでいます。
経営者としては、工場を失いました。
市民としては、国を失いました。
・・・そして今、五体壮健な男子であるのに、彼は寝食を友人たちに頼っています。
最初はとうてい耐えられない思いでした。
その思いから逃げ、気を紛らわせるために、引きこもって美の根源についての哲学的エッセイなどを書いていました。
故郷に戻ることも考えましたが、もう引返すのは無理でした。
企業家として身の立てられるイタリアへ行くことに決めました。
・・・一方、リュブリヤナでは、軍部が工場を訪れ、クロフタを不在のまま形式的に逮捕し、マリアの家庭用聖書から先祖伝来の家財まで含めた彼の全財産を没収しました。
軍はリュブリヤナの実業家、企業家数百人を投獄、その多くは2度と戻ってこなかったのです。石塚孝一氏によると、KGBのエージェントが何度もマリアを尋問しましたが、彼女は夫の所在についてはかたく口を閉ざし、やがて娘たちを連れて友人のアパートへ逃げ出し、脱出を工作し始めました。
6か月近くたっても、脱出のてだては見つからなかったのです。
ある暗黒街の人物がスーサークとフユーメイの間の橋のたもとの検問所を車で無事通過させてやると約束し、彼女はその言葉に賭けることにしました。
ところがその男は真冬の12月、夜2時に彼女を橋の手前で置き去りにしました。