ある男の生涯 4
浄化タンクも現在よりはるかに小さくてすむから設備が安上がりです。
クロフタはこの装置の設計と販売を扱う会社を始める決心をしました。
顧客第一号は若い製紙工場所有者でした。
父親に死なれた彼は、ヴェヴチェの工場に来たあのイタリア兵のように、わけのわからない生産手段を残されて途方に暮れているところでした。
巨大な製紙機械も、生命を与えてくれる企業家を待って放置されていました。
クロフタが指導して会社の生産を再開させ、外国にもその製品の買手を見つけてやりました。
しかし、それ以上に彼にとって意味深いことは、この工場に完全に稼働できる浮遊式浄水装置の第一号を作ったことでした。
それはクロフタ・ウニフロートと名づけられ、スウェーデンのアドカ社の場合の4倍以上、1分間に2500ガロンの水を処理できる装置でした。
4年間のヴェヴチェの支配人時代の評判を生かして、クロフタのミラノでのコンサルタント業は順調だったのですがその仕事が再び彼を家族から引離すことになりました。
スイス、オーストリア、カナダ、そしてアメリカにまで彼は足を伸ばしました。
インドにも出かけ、5か月の滞在中にはインドにパルプ工場を作ることをも考えました。
しかし内乱の勃発でそれは立ち消えになりました。
時がたつにつれ、彼はイタリアの政治情勢に不安を抱き始めました。
戦時中のユーゴスラヴィアと同様、イタリア国内ではコミュニストが少数派ながら強い勢力を持っていました。